鉄 道

三 重


 近鉄 賢島駅


   訪問日


 2013年 8月


詳 細


 賢島駅は近畿日本鉄道 志摩線の駅です。
 志摩線の終着駅になります。
 英虞湾に浮かぶ島にあり、周辺はホテルなどが建ち観光地化されています。

 頭端式ホーム4面5線から成る地上駅です。
 5線の内、4線が特急専用で一番北側の5番線が普通列車用ホームです。
 特急用ホームは8両編成対応ですが、普通列車用ホームは2両編成分しかありません。

 南口の横には志摩電気鉄道時代からある駅舎が残っています。
 1993年まではその駅舎の裏にあったホームが普通列車専用ホームとして使用されていました。
 なぜ、そんな中途半端な構造になったのかは下記を参照下さい。


 賢島駅・志摩線開業は1929年です。建設は志摩電気鉄道が行いました。
 賢島駅が着工直前まで計画に無かったり、現在の様な終着駅でも無かったり、志摩線自体が孤立路線であったりと
 地方のローカル線にしては壮絶な歴史を持っています。

 当初、終点の予定は少し手前の鵜方浜(現 鵜方駅)でした。
 着工直前に目黒蒲田電鉄(現 東京急行電鉄の前身)に視察を依頼した結果、風光明媚な「かしこ島」まで参宮客を
 誘致しないと収益が見込めないと指摘され、急遽「真珠港」(賢島駅の1つ先)まで延長することとなりました。
 終着駅となる事を期待していた鵜方周辺の住民が4年間にも渡り用地買収に反対し開業が遅れました。
 また、元々「かしこ島」は真珠の養殖場があるだけの無人島でしたが、駅の開業を祝し土地の寄与が行われ、
 駅前、港の整備が行われ観光地されました。
 その頃に「かしこ島」→「賢島」と漢字表記される様になったそうです。

 戦時統制で三重交通となり、1965年に三重電気鉄道を経て近畿日本鉄道に合併され近鉄 志摩線となりました。
 その後、4年間は近鉄の中で孤立路線となっていましたが1970年に経営戦略の一環として、
 標準軌への改軌、1500Vへの昇圧、近鉄鳥羽線の全通に合わせて接続が行われ大阪・名古屋方面からの
 直通運転が開始されました。
 また、時を同じくして半ば貨物線と化していた賢島〜真珠港間の廃止が行われ現在の線形になりました。

 特急が普通列車よりも多い観光路線と化し、特急の利便性を優先し北口とホームがフラットになる様な駅舎を
 新築した為、同じ地上駅でも高さが違うホームが出来ました。


 賢島をはじめ伊勢志摩には観光できる所がそんなに多くはありませんが、英虞湾の景勝は格別です。
 特に夕日が海に沈む時間帯はとても美しいです。一度訪れてみるのもいいかもしれません。
 今回は時間の都合上、夕日は見れませんでしたがいつか行ってみたいと思う所でした。


行き方


 電車では、大阪難波・名古屋から特急が出ています。その他では宇治山田または鳥羽などで乗換えになります。
 JRは参宮線で鳥羽で近鉄に乗り換えです。
 車では、国道23号線等で鳥羽まで行き、国道167号線に入ります。国道167号線の起点が賢島駅前になります。






都市部では珍しくなった有人改札です。
ICカード用の簡易改札機が設置されています。
案内はパタパタです。




特急で埋まっています。




横から重ねて。




新旧カラー。




伊勢志摩方面の特急列車は「伊勢志摩ライナー」が多いです。




普通列車はワンマン2両編成で端っこの短いホームに入ってきます。




観光特急「しまかぜ」の到着。
















駅名看板と。




伊勢志摩ライナーと。




色々なものが・・・




青空と良く合います。




パノラマ撮影。




特急の横顔。








踏切から。




「しまかぜ」&「しまかぜ」




ちょこっと見えてるのは「




珍しいツーショット。




貴重なショット。








賢島駅南口。
三角屋根の建物が志摩電時代の駅舎です。
ここからは賢島駅〜真珠港駅です




南口から改札に向かう途中。
上に見えているのは1番ホーム。
この空き地が線路跡です。




中央に見えるのが賢島駅。
駐車場付近が線路でした。




面影は全くありません。
カーブが鉄道らしい曲線です。








賢島駅から数百mで海に着きます。




真珠港駅跡。
廃線後はしばらく引き上げ線として使用されていたそうですが、今は何も残っていません。




場所が変わりまして・・・
賢島の北側、県道17号線の橋から。










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